ショー催眠のからくりと、娯楽催眠

・・・作成中(このぺーじはとりあえず書いている最中です。
   内容について決定したものではなく、偏りもあります。
   ショー催眠について、反対者や辛口の意見をとりあげ、
   あえてきつく記してみました。下記語弊あり、あしからず)


観客の娯楽を最大の目的として行われる催眠ショーの全般をおしなべて、ショー催眠(=ステージ催眠)と言う事にします。中には催眠を正しく伝えるために催眠をやったり、TVで解説する催眠術師も希少ながらいるようです。ですが、そうでない催眠術師もいると思いますので、ここではあえて、厳しい目で書いてみます。そうした厳しく吟味する目をもってこそ、真実により近づけると思うからです。本質を見抜く努力は大切です。
ショー催眠についてのホームページは最近多いですが、ショー催眠を検証するホームページはあまり多くないと思います。ですのでショー催眠について、賛成でない人の意見を参考に、あえてとても辛口に書いてみることにします。

娯楽のためではない催眠(つまり催眠療法など)のマジメな講習会などで行う講師のデモンストレーションは、娯楽を目的ではなく、マジメに学ぶ解説などの為なので、ショー催眠からは除きます。

★催眠をやる人の間でよく言われること、それは・・・・・(娯楽のために催眠を使う場合でも、)催眠を悪用しようとしたらその人が人生を間違っちゃいます、ということです。催眠を習い始めでまだ催眠についてよく理解していないうちは、人を操ってみたいとか、驚かしてみたい等の想像や誘惑感を持つこともあるかもしれませんが、催眠を学べば学ぶほど、それはアホらしいこと(もしくは自滅的な事)だと良くわかります。

● ショー催眠や娯楽催眠について・・・ショー催眠が無くならないとしたら。
・・・「催眠」を活かし、催眠者と被験者のメリットのためにも。

参加者全員が、催眠についての正しい知識を持ち、人権・プライバシー等を守り、モラル(倫理)の遵守、安全への配慮と備え、を十分にしていれば、さほど問題とは言えないかもしれませんが、実際はなかなかそうではないでしょう。催眠は初めてという人もいるでしょう。・・・娯楽目的の場合は特に、催眠について正しい知識を持ち合わせていない人が、催眠を行う場に参加していたり又は見ていたりということがあるでしょう。そういう場合に、配慮すべきことや必要な言動があると思います。

手品では観客は元々トリックや演出があることを知っていて、そのトリックの実践や実現に拍手を送っています。手品師はそのトリックナシでは手品をできないことは、明言していますし、周知の事実ですよね。

ショー催眠(=ステージ催眠)の場合はどうでしょうか?
観客は、トリック(サクラ等)や「演出」や「隠された手法」その他の仕組みがあることさえ 知らずに見ていることがほとんどですよね。それに、『こういう場合に催眠を掛けると危険です』ということも言いませんよね。ここらへん、ちょっと無責任で時に危ないし、フェアじゃないとも言えましょう。もしステージ催眠をするなら、ここらへんも手品と同様、フェアで安全であるべきだと言えます。そういうショー催眠をする催眠術師は希少でしょう。

『催眠ってすごい術で人を操れるんだ』と思ってしまうのは、“空飛ぶサンタクロースがいる”と信じていることと同じです。でもそういった事が、こと催眠に関しては起こりがちです。

私自身、催眠を掛けることは好きです。しかし同時に、掛かり易い人に催眠を掛けて自慢してもしょうがないなとも思います。被験者が5〜10人ほどいれば、手順どおりにやれば掛かり易い人は大抵見つかります。キツイ言い方をすれば、観客に対してそのカラクリは煙に巻いて(隠して)、催眠術師はスゴイとか上手いとか思わせるというのは、特に催眠が出来る側から言えば、カッコ良い事だとはなかなか言えません。ショーパフォーマンス的にはカッコ良いと言えたとしても、その“催眠利用行為”自体はカッコいいとは思わないのです。或る意味「それ、できて当たり前じゃん」と思ってしまうのです。極論すれば、まるで、手品を見たことも無い人に、手品の初心者でもできるようなネタを見せて、「すごい魔術師だろう」と表現してるようにも思えてしまうのです。これがショー催眠の場合「演出」という部分になります(ここらへん手品とは逆ですね。一流の手品師は手品を出来る側から見ても賞賛されます。それは高度なテクニックを使う手品は、そのネタを知っている人でも相当な練習をしたり、それなりの才能を持っていないとできないからですよね)。「演出」という意味ではレベルが高くても「催眠」としてはどうか、と見てしまうわけです。ショー催眠では掛かり易い人に掛けます。私がそういう催眠術師の役をしてと言われた場合、内心「この人になら催眠の初心者でも掛けることできるもんなあ。催眠が上手いかどうかよりも、結局ネタと演出が勝負だもんなあ」と思ったりします。つまり極端に言えば、ショー催眠は催眠術のウデはそこそこでも、「演出(演技)」が上手なプロの役者さんが催眠術師の役になって行えば、素晴らしく上手く見える訳です。カッコ良さとしての演出パフォーマンスのレベルを求めるなら、役者の方が上です。そういう意味では、現在の多くのショー催眠よりも、舞台で歌を歌って観客を感動させる方がよっぽどハイレベルだと思ったりもします。

勿論ショー催眠のやり方を学ぶのは催眠技能向上にとって有益です。しかしある一定以上は限界があります。ショー催眠では催眠暗示は直接暗示=明示を多用し、また、被験者の感情を揺さぶりながら誘導していきます。ショー催眠が上手な催眠術師はそういったショー催眠用の催眠術は上手で、演出も訓練しているので見せるという意味ではさすがに非常に洗練されていますし、ショーマンだなあと思わせる人もいます。催眠に掛かり易い人を多勢の中から選び出すのも上手に見せます。「演出」と「ネタ」準備は上手です。ですが、それは催眠が上手と言えることとはちょっと別です(それでも“見せる”ことが目的ですから、それでいいのですが)。掛かり易くない人にとっては、舞台以外でショー催眠と同様のやり方で催眠を掛けられることは時として心地よいものではなかったり、場合によっては強制的に感じられたりすることもあります。被験者がなんとか催眠に掛かろうと思っても全然暗示が入って来ない、心が開かない状態です。催眠術師がこちら(被験者)の心理(個性)を無視しているようだとも感じることもあります。そうではなく、被験者の気持ちや状態に沿った誘導であれば、催眠への入り方が良くなくても、心地は良いものだったりはします。そういう意味からもショー催眠をよく知らない観客からスゴイと思われたとしても、ショーの凄さ面白さ=実際の催眠の腕前ではありません。ホントに上手い催眠は面白さが目立つものではなく、その催眠誘導の微妙さの中に現れるものです。また催眠者と被催眠者の信頼関係という意味でも、とてもプライベートな面を持つものだとも言えましょう。被験者とその状態に合わせた催眠をできる人が最も上手だと思います。

「多勢を相手に催眠に掛かり易いかどうか試しながら、一番掛かりがいい人を選んだのだがその仕組みに観客は気づいていないか忘れちゃっただけ」「催眠術師の言うとおりにならない人がいる」「掛けられる人は操られていたのではない」「スゴイと思わせたのは、要するに演出とネタだった」「自前のサクラを使っていた」「ネタが面白いからと言ってどんな人に対しても催眠が上手いわけではない」

人々から注目され拍手をもらうことは大変気分がいいことですが、現在のフェアでないショー催眠の場合、事実を知っている催眠術師自身は観客を時に騙している(又は真実を隠している、又は娯楽としての必要以上の情報は与えていない)ことを知っています。またはネタと鮮やかさ・迫力を見せる演出が勝負だということも知っています。そこで楽しさを与えたと思っても、それではチョット・・・。手品は、トリックがあると明かしその上で、そのトリックとその実践が素晴らしいからこそ、拍手喝采を送られます。そういった手品と比べると現在の多くのショー催眠は少々浅いなあとも言えましょう。

フェアに安全にやっても、ショー催眠は可能です。現在のショー催眠は催眠の腕前と知識よりも「被験者とネタと演出」によって成り立っています。あえて誤解を生むようにしていたりもします。これはキツク言えば騙しの構造をとっています(または隠してる)。誤解を招いたり嫌悪の目で見られたりしない為にも、そして安全のためにも説明すべきことをちゃんと説明し、且つ、『心身ともに健康で且つ掛かり易い人にしか掛けられない。掛かり様の反応がほとんど出ない人を相手にはショー催眠は無理です』『掛かり様を面白く見せること(演出)こそがショー催眠』と明かした上での「フェアで安全な催眠ショー」にしてはどうでしょうか?仮にそうした洗練されたショー催眠をしたならば、催眠術はアヤシイと言われる事も少なくなるかと思います。そして、そうした催眠術ショーなら誤解はより少なく、それに催眠を出来る側が見ても今よりも質の良いものになるはずです。ショー催眠が無くならないとしたら、そういった催眠を正しく伝えていこうとする上等の催眠を出来る催眠術師の方がいいと思います。

仮に出来るかもしれないとしても、そこらへんは見て見ぬふりや手抜きの場合もあるでしょう。ですが、その見てみぬふりや手抜きを「無責任」と言う人もいます。 ショー催眠術師は彼等を起用するイベント主催者の要求に従ったりで、自己の人気と利益を優先しがちです。または、催眠について場合によっては催眠に掛けると操れるような印象を与えてしまったが為に、そして自分はそれが出来ると言ってしまった為に、今後もそんな催眠ショーを行わねばならない人もいるかもしれません。これは催眠術師の自由度を奪うことにも繋がるかもしれません。催眠に掛かり易い人が観客の中にいて、ステージにも出てきてくれれば事はうまく運びます。しかし、そうでない場合は観客にはナイショでサクラを使ってでも(サクラ=非常に掛かり易い自前の被験者)、面白さやインパクトを提示しなければならない状況に立つこともあるでしょう。舞台に上がるのが楽しい人なら、ネタを準備し演出を練習すればショー催眠はできます。しかしそれではネタ準備や演技が上手いってことになっちゃいますよね。またはサクラを使う場合には、サクラさんの演技や「催眠に入る能力」の方が上手ってことです。このようなショー催眠をやるとき、催眠術師はそのショーの影響が及ぼす社会的責任や危険性について、ほとんど関知しようとしません。催眠をやる前後に催眠とショーについて説明したりもしません。また、TVではインパクト優先で編集され、または面白おかしく編集されます。タレントが被験者なら上手く掛かっていなくても多少オーバーに演技して、それはオフレコ(ナイショ)ってことになります。

TVでは視聴率・インパクト・面白さを優先して『公共性』を犠牲にします。ですから特に催眠ショーについて言えば、ほとんどの人が催眠のことを騙されて(もしくは非常にデタラメに)伝えられていると言って過言ではありません。このように考えると、今のままでは残念な事にショー催眠は手品の域にまでは成熟せず、未熟のままです。

娯楽のために催眠を掛けることを楽しむ人の中には、催眠についてデタラメを言ったり、何も解説せずに行う人がいます。何故でしょうか?・・・催眠を掛けるそういうタイプの人にとってはその方が”面白い”と感じるからです(催眠を習得していく過程ではこういう誘惑に出会う人も多いとも言えます。ですがそうであるうちは、まだまだだ、と思います)。「すごい」と言われたいとか、催眠のからくりを隠したり騙した方が”面白い”と思うと同時に、それでも大丈夫だと思うからです。これはそういう人のホンネです。後からちゃんと説明すればいいとも思うからです。後からちゃんと説明すればまだマシですが、それをしない人もいます。催眠を掛けてもらいたいと被験者からの要望の上で、それで被験者も楽しめたからと言って、正しい説明が不要と思っては良くないでしょう。誤解させたりしない為にも、被験者やそれを見ていた人の為にも、後からであっても必ず本当のことを説明すべきです。正しい知識に基づく説明をしないと催眠の誤解もより多く招きます。

催眠についての誤解が増えると何が良くないのでしょう? ますます催眠術はアヤシイ等と思われたり、それをいいことに、利己的な欲求の為に催眠を悪用しようとする者が出てきたり、催眠をよく知らない人が催眠を掛けてはいけない人に催眠を掛けてしまったり、掛けられた方はその驚きやショックの為に最悪の場合、本当に心理的に悪影響を及ぼすようなことになるなど危険性の助長にもつながると思います。また催眠についての過度な期待から催眠を誤解したまま習得しようとしたり、そういった本人の期待や欲求が、本人自身に催眠を曲解させてしまうこともあるでしょう。<実際に今から約18年前、私のまわりである事件がありました。ある人が前もって正しい説明をせずに遊びで催眠を掛け、とても上手く掛かりましたが、掛けた方は事後処置(催眠を解き、解けたことを伝え、正しく説明する、など)を被験者にちゃんとせず、その相手にとってあまりに強烈な経験だったため、掛けられた人は今で言うPTSD(心的外傷後ストレス傷害)様のことが起き、精神科にいくハメになりました。もちろん催眠を掛けた方も大変なことになったのは言うまでもありません>。そして心理臨床(療法)の場では、その誤解のためにセラピストはしなくてもいいような苦労を強いられたり、クライエント(患者)は誤解のために催眠のメリットを享受できなかったりすることにも繋がると思います。正しく説明をしない催眠者はいったい何をしていることになるのでしょうか?仮にバレてはいないとしても、極端な場合、結果として人を騙していることにも繋がり得ます。「騙すような事は言っていない」という言い訳はなかなか通じないかもしれません。催眠を出来る者なら、被験者に対し催眠についてのどういった『暗示』が与えられているか、どういった『印象』が暗黙のうちに形成されているか、そのくらいのことは容易に想像がついているでしょうから。

掛かりやすかった被験者は驚き、時には操られたように感じているかもしれませんし、強制されたと思っているかもしれませんし、怖いものだと思っているかもしれません。
  催眠者のことを、「すごい魔術を使う人だ」と思っているかもしれません。「催眠を会得すれば人を操れる」と思っているかもしれません。「催眠に掛けてもらえれば一気に理想の自分になれるんだ」と思っているかもしれません。「催眠に掛かりにくい自分には、催眠を掛けてもらってもだめなんだ」とがっかりしてしまってる人もいるかもしれません。「催眠はメッキ」だから一時的な効果しかないと思っている人もいるかもしれません(単に「催眠はメッキだ」だけでは、催眠を良く知る者はその意味が理解できたとしても、そうでない人たちには説明不足で誤解を生みます。仮にメッキ様のことであっても、上のように、悪い場合は被験者にとって心理的な悪影響を、良い場合は心理的によい影響を与えより良くなっていくのです。「心理的影響は当然ながらゼロとは言えないが、その時点の現象だけをとってすれば、メッキという言い方も、ある意味でできる」と言うべきでしょう。その意味の説明不足によっては、クライエントの治療の選択肢などのメリットは損なわれます)。これらはいずれも完全な誤解か、すくなからぬ誤解を含んでいます。

「人々に楽しみを与え喜んでもらいたい」「夢を与える」という考え方はいいと思います。ですが、「楽しみを与える」「夢を与える」なら何でもイコール「良いこと」ではありません。「人々に夢を与えることの何が悪い」という言葉のトリック?にも注意が必要だと思います。これは何も催眠に限ったことではありませんよね。「楽しければいい」「楽しんでもらえればいい」だけを優先するのではマズイですよね。

もし「楽しみを与える」や「夢を与える」イコール「良いこと」や「喜んでもらえる」ことであるなら、極端な場合違法ドラッグも「良いこと」になっちゃいますよね。 時として、その夢や楽しみを「与える側の人」たちは、自らの利己的言動(もしくは自分の欲求)を養護するために、「人々に楽しみを与える」「夢を与える」という大儀名文をうまく利用していたりします。利己的な部分があるとうすうす気づいていても・・・利己的言動を養護していること自体を隠していることもあります。世の中全般にちょくちょくそんな状況が見受けられますけれど・・・。

催眠を練習していたりする人自身も時に催眠を誤解し、それに気づいていない場合が多々あります。催眠の掛かり様は、仮に掛けられる人が思い込んでいるとおりにはならなくても、その思い込みの方に向かいやすい傾向もあります。その性質を利用して催眠術を解説するいいかげんな人もいます。その解説や説明の時点が既に催眠(?・・・;説明が真実だとほぼ思い込まされているという意味で、“催眠”)になっている場合がしばしばあります。その解説や説明は、催眠を行う人の「きちんとした裏付けの無い思い込み」だったり、催眠を行う人に都合のよい「主張する事」だったりもします。ここら辺には本来、個人の「思い込み」や「経験による解釈」「勝手な主張」などではなく、学問的な実証研究などに基づき検証された事柄(信頼に足る科学的裏付け、エビデンス等)が必要になってきます。

そんなわけで、現在多く見受けられる誤解を生むようなショー催眠(Show、見せ物としての催眠)には時に憂慮を強く感じざるを得ないものがあります。私も、人を驚かせ又は楽しませて「おおスゴイ!」と拍手を貰うのは気分がいい事ですし、ワクワクすることでもあることは知っています。しかしショー催眠においてはそれだけで良いのかとの自問も必要だと思うのです。場合によっては極端に言えば、インチキ霊媒師のショーと同質のニオイを感じるショー催眠もあると思います。やはり催眠を行う場合は、安全でフェアなやり方でするべきですし、そういう工夫は色々できます。そして、ショー催眠が無くならないとしたら、その方が見る側にとっても良いものとなると信じます。

皆さんも本当の事、正しいことを知りたいと思うでしょうし、その方がみんなのメリットになると思います。


● ショー催眠の手順

掛かりにくい人にやっても無理なので掛かり易い人を探すチェックをしつつ掛けます。逆に言うと、催眠に掛かった人に次の暗示を掛けます。どういう意味?と思うかもしれませんが、ここが最も重要です。もし掛かり易い人が見つからなかったらアカンです。また、掛かり易い人が舞台に上がってくれるように導きます。それができない場合、ショーがお流れになっても何ですから、自前の被験者を準備している場合もあります。その日の催眠ショーがうまくいくかどうかは、TVやビデオ等の場合は事前の被験者探し(催眠の掛かり易さを試す面接;被験性テスト)などの準備がとても大事です。ライブの場合、催眠術師の上手ヘタも当然ありますが、舞台では掛かり易い人の催眠に入る能力とショーネタ(状況に応じたシナリオ)が勝負です。舞台に上がった観客は平常心ではなくどちらかと言うとアタマ真っ白状態なので、つまり思考が上手く働いておらずに催眠に掛かりやすくなっていることが多いのです。よく催眠にはリラックスが大事といいますが、それ以外にも一定以上の緊張状態では「理性的」な、いわゆる「左脳的」な「思考」はうまく働いていない場合が多く、催眠に掛かりやすかったりするわけです(舞台に上がり、人前に出てドキドキしてる自分を「思考」でコントロールして落ち着かせることすらできない状況ですよね)。催眠では眠っていたり操られているように見えるだけで、実際は本人は意識もあります。上手く掛かれば、催眠暗示に従って反応しますが、本人がどうしても嫌な暗示は本人が自動的に拒否したり、無視されたりもします。そういう場合は「OK、いいですよ〜」などと言って別の暗示に切り替えたりします。常によく観察して掛かり具合をチェックしながら、進めます。催眠に掛かってるかどうかの状態(催眠布置の状態といいます)が判別しにくい人や、反応がイマイチな人は、できるだけハズします。催眠に十分に掛かっていて、且つ暗示に対してハッキリとした反応が見える人はショーにとってGoodな被験者です。但し被験者がタレントなどの場合は上手く演技してくれたりもします。もちろん仮にTVで、逆に、催眠術師が失敗するように筋書きられた場合なんかだと別です。注意点としては最低限、心身ともに十分健康でない人をショー催眠の被験者にしてはいけません。
※ここで「掛かり易い人」というのは、@ショー催眠の催眠方法によって、A時間的にすぐに催眠が掛かり、且つBその暗示への反応の仕方が見ていてわかりやすい人、のことです。ですからショー催眠で掛からない人でも時間を掛けてやったり、他の誘導方法で行えば掛かるわけです。

観客が20人もいれば、催眠に掛かり易く、幻覚や記憶支配までいく人もうまくすれば2、3人はいます。オーソドックスな方法では、全員同時にまずはカタレプシーや運動支配系の催眠を掛けます。掛かった人だけステージに呼んで、見せるための被験者にします。または、その場に立っていてもらった場合次の催眠をその人たちだけに同時に掛け、それも掛かった人はステージ上での被験者に選ばれます。そして仮にステージに5人上がったら、その中で一番掛かり易いだろうと思われる人、面白おかしく、よく反応する人(ショー催眠的な意味で掛かり易い人)に催眠を掛けながら、どの位まで掛かり易いかは常にチェックしています。原則的に、催眠のシナリオの流れは、浅い催眠状態での現象から、次第に深い催眠状態での現象へと移行するようになっています(『催眠でできること、できないこと、危険なこと』を参照してください)。つまり、最初は椅子から立てない・手にもった物を離すことが出来ない等の運動支配系の暗示を行い、感覚支配・感情支配と進みます。そうして幻覚などへと進みます。例えば、最初から幻覚や記憶支配等の深い催眠状態が必要な暗示は、そういう深い催眠が掛かる被験者だとわかっていない場合は、まず、やりません。   複数人同時に掛けたなら、次はその中でも反応が良い人、掛かりやすい人に集中的に催眠を掛けていきます。このように、多勢の中から掛かり易い人を選び出すのがライブでのショー催眠のカナメです。  そして掛かり易い人が催眠に掛かっているのを見た他のステージ上の人も、「催眠を掛けられると自分も同じようになるんだ」と思い込んでしまいます。そうして2番目に掛かり易い人に掛けます。こうして掛かり易い人にその人が反応し易い催眠を掛けていきます。こんなふうに、多勢の中から催眠に掛かり易い人を選んで、その人に次第に深く催眠を掛けていく、という手順をとります。観客が多いほど、掛かり易い人も多くいるわけです。

また、予備催眠というのもあります。自前の被験者を用意しておいて(TVではタレント使うことが多い)、ショーが始まったらすぐに一瞬で深い催眠状態に入れる場合や、指を鳴らしたり太鼓を叩いたりする合図で一瞬で何らかの面白い行動をさせるような催眠ショーなどで行われる方法の1つです。ショーが始まる前にあらかじめ催眠を掛けておき、ショーが始まったときにすぐ催眠に入るようにしておくわけです。予備催眠をする時はショーではないので、舞台裏や楽屋などでジックリ催眠をかけられます。被験者は勿論掛かり易い人を用意します。催眠を掛ければしだいに深く催眠に入り、そして”被験性(被暗示性)”もアップしていきます。自前の被験者を使う場合、この予備催眠の方が実際のショーよりも重要になる場合もあります。被験者の催眠状態が十分深くなった後に(被験性も十分高くなっています)、例えば「目が覚めた後でも、いつでも私が合図をすると、一気に気持ちよく深い催眠にすぐに入っていく」というように催眠を掛けておきます(後催眠と言います)。そして一時、被験者の目を覚まします。よく催眠を解くことを「覚醒」とか「解催眠」などといいますが、催眠から覚めたからと言っても、しばらくは”被験性”は上がったままです。熱が一瞬では冷めないようなものです。単にさっき掛けた暗示が解けただけで、催眠状態に入る準備はいつでもできてる状態です。催眠誘導に対して敏感になっているわけです。且つ、さっきの暗示(合図したら催眠に入る;後催眠)も効いています。そしてその”被験性”が下がらないうちに(又は後催眠が効いているうちに)、ショーが始まります。ショーが始まったら舞台の被験者に例えば「眠れ!」などと言って指を鳴らしたりします。すると一気に催眠に入っていくわけです。タレントや自前の被験者を使うステージ催眠やTVの収録、催眠ビデオなどを撮影する場合にもよく使われる方法です。勿論、出演者の被験性をあらかじめテストしておいて、催眠に掛かり易い被験者やタレントを選んでおけば、被験性が十分に高い人たちが相手なので、予備催眠は必要ないこともあります。いずれにしてもショーやTV・ビデオなどでは被験性が高い人を相手に催眠を掛けるわけです。

舞台に上がった被験者の気持ち・・・催眠術師が例えば、「3つ数えると、あなたは小鳥になります」と言ったとしましょう。被験者が、「それまでの椅子から立てないとかの催眠暗示は良く効いていたけど、この暗示はイマイチ効きがわるいなあ(催眠に掛からないなあ)」と思っても、言われたとおりにしないのはチョットはばかられますよね。仮に言われたとおりにしなかったとしても、舞台に上がったうえで「全然掛かってないんですけど・・・」なんてナカナカ言えるもんじゃありません。観客に見られている時そんな事言ったら、いくら催眠術師のせいだとしても、掛かっていない自分までもが観客から「ヒンシュク」買いそうですもんね。場がシラケちゃいますから。それで、イマイチ掛かりが良くなくても少々演技してしまったり、何か言うとしても「ん〜〜〜ん」とあいまいな表現をしたり、ということもあります(こういう場合、催眠術師はこの被験者はハズすか、他の暗示に進んだり、他の暗示をやって再度同じ暗示をする場合もあります)。特に被験者がタレントだった場合シラケルのは困りものです。タレントは自らの与えられた演出的役割に沿おうとします。それで多くは催眠術師に合わせてくれるわけです。合わせている内にホントに掛かることもあります。

催眠術師の催眠態度・・・催眠術師にとって、ショーで被験者が催眠に掛からなかったら怖いことです。だから、その無意識的な怖さ故にも、催眠のやり方は(言葉や言い方はやさしくても)、目線や態度はある迫力を持つようになります(もしも催眠が掛からなくても全く問題が無い場合、そういう迫力はおのずと持つ必要がありません)。時に被験者が掛からなくてもその迫力に負けて掛かる(又は演技する)ように。時に威圧的・権威的になったりするわけです。言葉やしぐさ以外の、その態度・雰囲気が、です。不思議な雰囲気・絶対の自信がありそうな雰囲気・且つ相手を安心させる雰囲気などです。ここらへんはさすがにプロです。上手く掛かれ、上手く行け、と内心・心の底で思っているので、それが表に現れ迫力となりますが、それも演出の1つとします。その態度は例えばボディランゲージや視線・ふるまいなどです。『絶対に掛ける』という迫力ある態度がまず第一に基本的態度です。迫力と言っても怖そうに見えるという意味でなく、『ゆるがない』とか『余裕』というように感じることもあるでしょう。そして『絶対に怖気づかない、何があっても(心の中では困ったなと思ってもそれを表に出さない)堂々としている』という自信満々に“見える”態度、『余裕十分』に見せる態度、またあるときは『優しく丁寧な紳士』に見せる態度です。しぐさ、ふるまい、視線、表情、声、話し方、動き、などです。暗示の与え方は、催眠の基本として、被験者の外側から押し付けるのではなく催眠に掛かる被験者の内面の力を引き出すように、いわば被験者の内側から掛けますが(ショー催眠でなくてもそうですが;理解しにくい書き方だったらごめんなさい)、そういった本気さ(上記の態度、絶対掛ける!)=迫力は被験者に伝わり、もともと掛かり易い人にはそれがかえって効を奏するわけです(逆に、そのような態度に反感を持つ人にはむずかしくなりますが、そういう人は催眠誘導を受け入れようとしているとは言えないでしょうから、ショー催眠の被験者からははずれてもらった方がいいわけです)。
ショー催眠をやる場合のここらへんの態度はセラピストとは違いがあります(セラピストの場合、掛かれなどとは思いません。そのような思いよりも大事で必要なのは、クライエントの催眠の掛かり具合・心的状況・有効なアプローチはどうなのか、などです。また、催眠の掛かり具合とは別に、どのような心的状態にいるのか;寛ぎつつあるのか不安なのか自己と戦っているのか喜びを感じているのか何を感じているのか、今現在そしてこれからはどのようなアプローチ・方法がそのクライエントにとって最もよいか何をこのクライエントにしてあげるべきか、などを常に注意しているわけです)。


● 催眠を習う上での問題点・注意を要すると思うこと

催眠は印象形成や前提は要の1つです。
・ 例えば、Aさん,Bさん,Cさんの催眠のウデが同じ位の練習グループに、新顔の被験者Dさん(催眠についてよく知らない人という意味で新顔と表現します。催眠術が上手でも“よく知らない”のであれば同じです。ここは重要です)も一緒にいるとしましょう。Cさんが「Aさんは催眠の師匠です」と言ったたとしましょう。新顔のDさんはCさんが本当の事を言っていると、信用しているとしますと・・・仮にAさんが大して上手くなくても、被験者さんは、特にAさんに催眠を掛けられやすくなります。逆に、本当は催眠が一番上手なBさんが居たとしても、「Bさんはまだ上手ではない」とAさんが言えば、それを聞いた被験者さんは、Bさんの催眠が掛かりにくくなるわけです。さんはAさんのことを師匠だと思っていますし、その師匠の言う事だから信用するわけです。これは催眠の練習の場でも言えることです。また、こういう現象は、催眠の学問的な研究としての実験で確かめることもできます。 催眠術師が催眠講習をやる場合、催眠のこういう性質を利用し、自分の言う事をよく聞く気に入った受講生を引き立てることもあります。エコヒイキをしたり、どう考えても納得行かないのに、このようなことをする講師はお薦めできません。

・ 「前提(ここでは、催眠を掛ける前に被験者に思い込ませるためのことがら)」による催眠状態の結果を、あたかもそう言う催眠があるかのように説明したりする催眠教室はアブナイか、お薦めはできません。この「前提」は言葉などによる説明だけでなく、実際に現象を見せることによっても被験者に与えられます(だから、ショー催眠ではどうのこうのと説明するより、観客の誰か1人を催眠に掛ければ他の観客も催眠にかかりやすくなるわけです)。つまり、正しくない解説をし、受講生にそう思い込ませる催眠教室はリスクがいっぱいです。こういう場合、受講生がその解説を疑っていたとしても、受講生以外の被験者がその解説者(催眠術師)を信じていれば、被験者に対して催眠を掛ければその結果は、解説者の言うことに合致するか又はそれに近い結果が出易いです。つまり、この場合、“催眠”は掛ける前からすでに始まっているのです。  (科学的な実験は、こういった催眠現象それ自体に影響するような条件(この場合「前提」ですね)を排除して、純粋にどういった催眠現象がどのようにして起きるかを研究する手法(研究法)によって行います。そうしてその結果の事実を得るわけです。催眠とはどんな現象なのかは全て解明されているわけではありません。但し、学問的・科学的な共通認識は多々あって、それを科学的な理論と言っています)。  「前提」の効果による結果(「前提」が影響した結果)を見て、疑っていた受講生もその間違った解説を信じ込んでしまう場合があります。「ホラ、こうするとこうだから、こうなるんです」。   また、催眠術師自身も、間違った理屈(理論)を真実だと思い込んでいる場合もあります。それは、本当は科学的ではなく疑似科学的な理屈なのに、それを科学的だと思っていたり、又は、催眠術師自身の経験上のことから、そう思い込んでしまっている場合が多いようです(悪意はなくても)。特に、被験者に対して何をし、それはどういうメカニズムになっているのかを理論的に正しく説明しない催眠術師はお薦めできません(けれども説明が正しくなくても初心者には見破れない場合が多いです)。だからこそ、わからない場合は徹底的に聞くことですが、自分でも勉強しなければ例え騙されても気づきにくい事も多いでしょう。ですから一般の催眠教室で学ぶ際には、疑うという意味ではなく「本質を見抜く努力をすること」が大事です。そして必ず自分で色々調べ理屈的なこと(理論的なこと)も勉強しましょう。
  催眠術が上手とか経験豊富、イコール、催眠の真実をよく知っている、ではありません。勿論、その逆に、知識があるからと言って、催眠の技術も上手とは限りません。例えばショー催眠は、ある程度練習すれば意外とすぐに出来るようになります。直接暗示を使って催眠を掛ける、というのは割とわかりやすく覚えやすいからです。空手で言えば「型」のようなものです。そういった催眠術が一応は出来るようになったとして、自信も十分かと言えば違うでしょう。出来るようになってから、さらに多くの経験をすれば、今度は自信がさらに付いてきます。そして自分は催眠が出来る、と自信を持てるようになるでしょう。しかし、自信があるからと言ってショー催眠以外の直接暗示をあまり使わない非伝統的“催眠誘導”ができるとは限りません。そういう“催眠誘導”を上手くなるには、単にヤミクモに練習しても時間がかかるだけです。効率よく学ぶには、知識が必要となります。・・・こんなふうに、催眠の実践と知識は両方とも重要です。実践ばかりではカベに当たります。野球選手でも水泳選手でも、テニスプレイヤーでも、多くの実践とともに、理論的な研究成果を自分に取り入れて初めて優秀な選手になります。針灸や柔術整体も理論を知らずにできませんよね。 催眠も同じです。
  ※=== 「前提」についての例を上げます・・・・・・例えば、被験者さんがだいぶ催眠に掛かり易い方だったとしましょう。そこで、さんが師匠だと信用しているAさんが、さんに説明します・・・「瞬間催眠っていうのがあります。スキを突いて一瞬で催眠にかけるという方法です。色んなやり方があるけど、例えばこんなふうに急に相手の両目を手でふさげば一瞬の内に失神するように深く催眠に入ります。理論的には、例えば普段でも〇〇〇〜〇〇〇という現象からも見られるように、△△△〜△△△という事です。」「Cさんはそれが私より得意です」と。Cさんも「勿論、できますよ。」と答えました。するとそれらの説明は「前提」となります(この前提は「説明」無しに実際にそういう現象を見せることでもさんに与えることもできます)。これは、さんに対するいくつかの“暗示”とも言えます。その“暗示”の『内容』は、直接暗示として言ってみれば、「瞬間催眠というものがあると信じ込む」「瞬間催眠はさっき説明されたようなものだと理解し思い込む」「Cさんは師匠のAさんよりも瞬間催眠が上手だと思いこむ」という暗示です。・・・あなたも、催眠じゃなくても、こんなことがないですか?・・・(^^)・・・この暗示がさんに入っているとも言えますよね。催眠の理論(学問的、科学的な理論です)やカラクリなどを良く知らない被験者さんはそれを信じてしまうでしょう。そして、さんが不安と興味を持ちながらもちょっとしたスキのある瞬間に、Cさんが言ったとおりやれば、さんは催眠に入っていく可能性大です。被験者さんが信じていればいるほど、掛かりやすくなります。そして掛ける前には、Cさんは、さんがどの位催眠に掛かり易い状態になっているか、シッカリ観察していたわけです。さんが催眠に掛けられることに多少でも慣れていればさらに掛かる可能性は大きくなります。さらに加えて、さっきまで催眠に掛かっていて覚めてからあまり時間がたっていなく、瞬間催眠を体験してみたいと思っていたら、催眠を習いたての人がやってもほぼ100%催眠にすぐ入ります。Dさんが催眠に掛かったのを見たBさんも、場合によってはドキドキしていたり、「スゴイ!」と思っていたりして「冷静」でない部分を含む心理状態(催眠に掛かり易い状態)になっているわけです。そしてその結果、ヘタをすると受講生Bさんもさんも、こういう「瞬間催眠」がある、というように思い込まされてしまうのです。そのトリックのキモは「前提」さんの被験性や被暗示性(の高さと質。)にあるとも気がつかずに。もう1つあるとすれば、受講生Bさんとさんの知識の無さも加担しています(もう1つ、掛からないように反発するのは被験者としての立場上、気まずい、という心理もあるでしょう)。  そして実際に催眠を掛けられたさんは、事実だと信じ込むようになりますし、さんは「Cさんの瞬間催眠はスゴイ」と思い込んでしまうわけです。もちろん「瞬間催眠はこうやって掛ける」と言われればさんはそれを全て信じますし、催眠を掛けられながら、同時に解説や説明のその“ことば”自体も上記と同様に暗示となり、さらに言葉ではない(ノンバーバルな)暗示や、ボディーランゲージや視線、スキンシップなどによる、ある感覚・感情・体感(多くは気持ちよさ、快感です)を感じることで、さらにそれを感じさせられ、思い込まされますこれらの「前提」の効果やノンバーバル(言葉じゃない)な催眠暗示を良く知らないさんは、暗示を与えられたことも気づかぬうちに暗示を与え続けられます。そしてその“思い込み”を理性に於いても“理解”させられます(巧みな解説によって)人は自分が望むように“理解”しようとする、のです、自動的に。   そうして「瞬間催眠」ってなんてスゴイ素晴らしいんだろう、Cさんはなんて凄いんだろう、などと思い込み、さらに興味を引かれることになるでしょう。そして場合によっては「瞬間催眠」のために多くの時間とお金を使うことにもなり得るワケです。正しく教えてもらっていないとも知らずに。   その時間とお金を使うくらいなら“暗示”について勉強したり、「後倒法」や他の正しい技法を練習した方が、基礎的にも、催眠技法の複合的な仕組みなどを学ぶ為にもいいのに、です。
  ( 「後倒法」では「頭クラクラ感」を催眠に利用します。目をつぶって後ろに倒れると頭がクラ〜としますよね。立ちくらみした時やめまいがした時、頭がクラクラしますよね。そういった「頭クラクラ感」の時は思考が働きやすくはありません。それを利用するわけです。頭をグルグル回してもいいわけです。これを「回頭法」などと言います。頭をグルグル回されながら後ろへ倒れたらどんな感じがするでしょう?すごくクラクラします。・・・危ないので完璧に支えてくれる人がいない場合や1人では怪我しますので絶対にやらないでください)。
   上記の場合の「瞬間催眠」は単なる「驚愕法」をきっかけにしたものでしかなく、瞬間催眠などというものではありません。驚愕法+回頭法や驚愕法+後倒法を瞬間催眠という名称にすれば別ですが(^^; そして、“瞬間催眠”という名前の方がインパクトが強く、良く知らない人には掛かりやすくなることもあります。ですのでそういう呼び名をする人もいますが、”瞬間催眠”は単に催眠の基本技法を使っただけです。また、「頚動脈圧迫」による大変危険な瞬間的な催眠誘導などはありますが、これは大変危険なことでヘタをすると相手に脳障害などの重大な後遺症をもたらすことになります。絶対にやめましょう。頭クラクラではすまないことにもなりますので(^^; また、そこまでして催眠を掛けるくらいなら、ブリージング(過呼吸による方法;専門家による)などの他の方法を使ったほうがいいとも思います。
   例えば握った手に、「驚愕法」によってカタレプシーを掛ける方法がありますが、瞬間催眠とは言いません。「驚愕法」をより有効にするために「疑視法」を併用したりもします。まずは最初に「疑視法」を使うことにより、思考的な理性の活動や外部(周囲)への注意を低下させます(注意が散漫になるのを防ぐわけです。周りの色んなでき事にアンテナを張っている知覚の状態・分析的な思考活動の水準を下げるわけです)。そして「驚愕法」につなげます。「驚愕法」では、文字通り少々ビックリさせ一瞬「頭真っ白状態」にし、そして分析的な思考や周りの色んな出来事にアンテナを張っている知覚の状態・理性的な状態が瞬間的に回復するのを防ぐためにも、暗示を素早く呈示します。注意をその暗示に集中させるために、暗示を繰り返しまくし立てたりします。「疑視法」との併用で、この「驚愕法」をうまく行き易くさせたりするわけです。簡単に言うと・・・「疑視法」(疑視法でなくてもいい)で、注意を集中させます;「1つのことしか思わない状態(注意集中)」にします。「注意集中」からビックリさせた時には急激に思考が回復しようとしますが、その時アタマに入ってくる情報量がイキナリ増えるので、脳がその情報処理に追いつかないような状態になります。そうなりやすくさせるために、最初、「疑視法」などで「1つのことしか思わない状態」にします。そして「驚愕法」で、少々驚かすわけです。少々ビックリしていて(自分では意識しなくても「頭真っ白状態」が一瞬発生するとき)、自分自身や周りに発生した出来事をオツムがうまく処理できないうちに、素早く暗示を入れ込むという方法です。映画に見入っていて、その世界に没入しているときは注意集中の状態です。そのとき我に帰るとハッとするときがありますよね。その「ハッとした」と自分で意識する一歩手前が「頭真っ白状態」とも言えるでしょう。「頭真っ白状態」では、色々知覚したり認識したり考えたりする思考・理性が、入ってくる様々な情報の処理に追いついていない状態なわけです。
  逆に言えば、いくらビックリしても、心構えがしっかりしている人には、イキナリ驚かしたりしてもダメなわけです。単なる遊びや合意の上でなら別ですが、イキナリ他人を驚かしたりすれば、普通の人は反射的に自分をガードするか相手を攻撃をします。ですので、相手が催眠を受け入れることを許可していない場合、「驚愕法」を強烈に使うと、大変なことになり、怒りまくられたり、殴られたりします(^^; こんな場合もあるかもしれません・・・「おまえ、(イキナリ1人でワケわからん事言って)何やってんの?」。これで済めばまだいいですが。  自分より肉体的・心理的に弱そうな人、立場的に下の人を相手にするなら、反射的に殴られたりもしないでしょうし、条件付で(つまり相手の催眠感受性・被暗示性が高ければ)場合によっては催眠を掛けることができます。しかし、それではイジメや傷害行為(心理的・肉体的)になりますので、必ず合意の上で行うことが肝心です。
  さて、催眠を掛けるとの合意の上での場合(練習などの場合も)、相手(被験者)は、「前提」として「催眠」されることを知っていますし、場合によってはその催眠に掛けてもらいたかったりします。ですので、その相手(被験者)も理性の状態を反射的に回復する気持ちが低くなっていたり、驚かされても相手を攻撃しよう(殴り返そう)などとは思っていません。または、自ら理性を回復しようとは思わない方が多いでしょう。つまりややお任せ状態的になっています。よって、被暗示性が高い場合、催眠に入る場合もあります。また、それで厳密には「催眠には入った」と言えなくても、被験者は「催眠にかかったんだ」と思い込むこともあります。 又、慣れれば自ら「驚愕法」を受け入れる心の状態を作ることもできます。ビックリした場合、その心的状態を保てれば(相手へのお任せ状態。心的に思考が”静止”しているような状態。その状態から抜けでようとはせずに、相手へお任せの気分でいる状態)、うまく行けば暗示が入ります。  また他には、被暗示性(被験性)が十分高まっている状態では、被験者が “催眠術師が行う色んな言葉や行為” を “催眠に掛ける催眠暗示” だと認識するならば(暗黙の了解。例えば、パチンと指を鳴らすのが催眠に掛ける暗示だとの暗黙の了解があるなら)、何をやっても(目の前で指を鳴らす等でも)被験者は一瞬で深い催眠へ入ります。
  ・・・あえて言うなら、「疑視法」を併用せずに、催眠を掛ける一番最初の段階で「驚愕法」を使い「頭真っ白状態」にして、そのまま即座に、「後倒法」や「回頭法」での「頭クラクラ感」が生じるような“動作”などにつなげて催眠状態へ誘導する方法を「瞬間催眠」と言ってもいいかもしれません。実際にショー催眠系の人は、被験者に対して不意に急に驚かすようにして催眠を掛けるやり方を瞬間催眠と言って、別種の催眠があるようにあえて区別していたりします。既に書きましたが、ビックリさせるだけでは気を持ち直しやすいので、ちょっと工夫してあるわけです。・・・立ちくらみでクラクラするときやめまいがした時、ちょっと自分を保てないような感じ(「アレアレッ?」という感じ、とでもいいましょうか)になることがありますよね。このちょっと「頭クラクラ感」と、ビックリして「頭真っ白状態」を利用して思考が一時的に停止してるような状態の時に暗示を入れるわけです。最初は要するにまずは驚かせばいい(又は思考が一瞬停止するような状態をつくればいい)ので、ビックリさせる(などの)方法はなんでもいいわけです。例えばビックリして「頭真っ白感」になっているときに連続して(ほぼ同時に)被験者が「頭クラクラ感」を感じるように被験者の頭を微妙に支えながら動かすなどして、思考が働きにくい状態にします(驚愕法→回頭法でもOKなわけです。驚かして急に相手の目を手で覆い、回頭法へつなげるでもいいわけです)。この時点で上記のように催眠を掛けるとの合意の上だった場合、被験者は「催眠」と思っていますから、クラ〜っという感じとともに脱力したりするわけです。同時に暗示を入れれば、入りやすいというわけです。しかし、これも単に「驚愕法」の1つなのです(驚愕法と回頭法や後倒法の組み合わせですね)。  ですので、仮に「瞬間催眠」とか〇〇法、〇〇催眠などと言ったとしてもタネ明かしするならいいのですが、このようなことをあたかも特殊な「瞬間催眠」である、と説明しているなら、そういう講師には一部の疑問を持ったほうがいいでしょう。 しかも純粋に「驚愕法」→「回頭法」では、被験性が低い人や反射的に心的防衛をする人には催眠を掛けられる確率はとても低いものになりますし、単なる技法の組み合わせにすぎません。催眠は技法の組み合わせややり方の違いによって○○催眠の“△△△△△”、“××××”と言っている場合もあります。ちなみに『幻覚催眠を教えます』なんていうのがあったとしたら、それは被験者の特性によるところが大きく、幻覚暗示が入るまで深い催眠に入れる被験者が相手でないと意味がありません。ですので、それぞれの“技法”がどういう過程をたどるのか、どうなってるか仕組みを学ぶ方が有益です。その意味でも、最初は上記の「疑視法」からのリラックス誘導や、被験者を椅子に座らせての「後倒法」「回頭法」を習った方が解りやすいでしょう。「疑視法」→「驚愕法」でカタレプシー(手固めなど)を掛ける方法、驚愕法を用いずにイメージ誘導でカタレプシーを起こす方法、等々色々あります。また、被験者を観察することを学ぶこと、被験者に信頼してもらう方法を学ぶことの方が催眠を上手くなるには有益です。そして催眠に掛かった人に喜んでもらえるようにすることも忘れてはなりません。従って、本当の意味で催眠を上手くなるには、色んな人・多くのタイプの人に催眠を掛けられるようになるには、様々な催眠誘導の技術の「理解」と「修得」が必要になってくるわけです。
早い話が、被験者を催眠状態に入れるには、色〜んなやり方があって、そういった色〜んな方法が実際の催眠では複合的に使われているということです。色んなやり方の典型的な方法を〇〇法とか〇〇催眠と言っていることが多いということです。そういった意味では、田中さんがやる特徴的なやり方を田中法と言ってもいいし、佐藤さんの得意なやり方を佐藤催眠と言ってもいいでしょう。TVにたまに出演するマーチンセントジェームズの方法は“Look Into My Eyes(私の眼をじーっと見なさい)”法になります(^^)
  「前提」の効果を使えば、その催眠現象を良く知らない人には何とでも説明できるわけなので、注意しましょう。

  権威的な雰囲気や、自分は師匠であるという立場重視の催眠術師は自分が「上手い」と思われなくなることは大変困ることですし、ボロが出ることを一番恐れます。が、そういう講師は見る眼を持った受講生に見抜かれることも恐れます。特にショー催眠を教える催眠術師と名乗る人の中には、カッコ良さなどが命ですから、常に自分は催眠が上手いと受講生に思わせるための「状況設定」をだいぶ重視する傾向がしばしば見受けられます。思い込ませること、それこそが催眠のキモでもあるからです。  そういった理由からでしょうか、ショー催眠主体の催眠術を行う人たちは、「自分は催眠が上手」「自分の考え方が正しい」との主張が強い人が多くいます。例えば、「考え方が間違ってる」と言われればヤッキになって自分の主張をただ繰り返すのみの人も存在します。そういった反論が科学的に行われる場合は非常に建設的で良いことだと思います。しかし実際は、ショー催眠主体の催眠術師の中で上記の人たちは、ただ単に自分の結論的主張を信頼できる根拠無く繰り返す場合がほとんどだと言えます。本来は、科学的な学術的な研究で反論したり、または、過去の既に認知されている研究成果(先行研究における結果。エビデンスとも言います)をもとに科学的に自らの主張を行ったり、できればそれを専門家でなくても理解しやすいように説明するのが一番いいのに。   ショー催眠術師は人前では催眠に掛かりにくい人にはあまり催眠を掛けようとしない人が多いです。誰が掛けても掛からなかった人には掛けてみる場合もありますが、”掛からない”状況をあまり見せたくないわけです(この点は療法系の人と正反対です。療法系の人の場合は、掛からない状況も、掛かる状況も両方を見せ、その違いを解説し、対処法を呈示します)。ショー催眠主体の人は研究よりも見せることが主体です。掛かり易い人にはどんどん掛けます。 ※すべての催眠術師がそうだと言っているわけではありません。中には良心的な催眠教室もあります。しかし「見せる」ことが目的の催眠術師は多くがこういった傾向を持っていますし、その立場から、自らのパーソナリティの使い分けをしている人も多くいます。良心的な教師は自分で見つけるしかありません。できれば催眠についての学術的なことを良く知っている専門家が行っているセミナー・研修会か、そういう人が薦めるセミナー・研修会がいいでしょう。  このようなカラクリを知って、受講する側は本質を見抜く努力をしましょう。また科学的な正しい資料などに基づく理論的な解説をあまりしない講座はお薦めできません。それこそヘタな方向に思い込まされるリスクがあります。闇雲に講師の言う事を鵜呑みに信じるのは、良いとは言い難いでしょう。講師が催眠についてよく知らない人だったり、良くない人だった場合には間違った知識を持たされたり、場合によっては利用されます。そうして大した技術でもないものに多くのお金と時間を費やすことにもなります。

  ちなみに、療法系の催眠士はあまり人前でショー催眠のようなことはやりません。その理由は、何で?・・・・・・理由はおおまかに、3つはあると言えます。
◇1つ目の理由は・・・、簡単に言うと倫理的なワクがあるからです。この理由が非常に大きいでしょう。 学問的知識も兼ね備えた催眠療法等を行う人は、研究グループや専門的な学会などに入っている人が多く、心理療法や心身医学などの専門的な情報を得て常に最新の技術を学んだり研究したり、色々な催眠実験をいつも行ってデータを取って研究している人なども多勢います。こういった研究を大ざっぱに分けると、催眠現象それ自体の実験や研究と、治療や療法等に催眠を有効に使うにはどうしたらいいかという研究の2つに大別できますが、いずれにしても、倫理的には人前で娯楽目的で催眠をするのはあまり好ましいとは考えられていないからです。また、ショー催眠では催眠に掛かり易い人を見つけ、いかに鮮やかに掛けるかが大切ですが、催眠療法では催眠に掛かりにくい人も多く相手にしますので、そういった掛かりにくい人にいかにうまく催眠に誘導するか、いかに催眠を有効に使うかを学び研究し、実践しています。そういった研究や実践を行うために、日本学術会議に登録されているような学会等に所属している人が多くいるワケです。そういった学会の「倫理綱領」には、“催眠が誤解されないように”、“安全に”、“正しく催眠を活用できるように”とのことから、娯楽目的の催眠はしないように、とか、学問的なことを勉強しようとしていない人には軽率に催眠を教えないように、などの規則があります。その規則を破ると場合によっては会を除名になったりします。それで人前での娯楽的催眠を行う人はほとんど居ないワケです。
◇2つ目の理由は・・・、TVや舞台では事実が『加工』されて伝えられ、真実を伝えるのは非常に困難だからです。 TVや舞台の主催者の意向に沿って大事な場面がカットされたり『編集』・『誇張』『短絡(省略)』など『演出』されたりします。正しいことを伝えられるように、編集した後の内容(実際にTVで放送される予定の内容)をチェックしてコントロールしようとしても、全ての要望が取り入れられるわけではありません。マスコミはそこまで良心的ではありません。仮に放送内容をコントロールできるとしても放送時間は限られ、舞台(ステージ)ならなおさら十分な条件が不足します。事実が『加工』されて伝わり、真実が伝わりません。
◇3つ目の理由は・・・、なにより、誤解が広がる可能性が高いからです。 TVや舞台では限られた時間です。仮に生放送で事実を、途中のコマーシャルなど無く数時間の連続放送をしたとしても、TVでは最初から最後まで全部見てもらえるとは限りません。催眠をすごく上手にやればやるほど、困った誤解が生じ得ます===誤解の一例は:「催眠は科学と言っても、あの掛かった人は操られてるじゃないか!」「催眠って魔法だ」「あの催眠術師は催眠術以外にも超能力もあるはずだ」「あの催眠術師からは“気”が出ているから催眠術がよけいうまくかかるんだ」「あんなすごい現象が起こせるなんてウソだ。演技に決まってる。絶対サクラだ」「手品と、サクラの演技を組み合わせてるだけだ。催眠であんなスゴイ現象が起こせるハズがない。ウソだ」「あの催眠術師に催眠を掛けてもらえば、もしかしたら自分に“霊感”が目覚めるかもしれない」「あれこそが催眠術だ。他の催眠術なんてウソだ」「私を救ってもらえるのは、きっと催眠だけだ!」etc...などと。極端に過大な期待、と、逆に完全な不信のさらなる強化、その他にもさまざまな誤解がますます広がりやすいわけです(まじめな話し、やるとしたら、ヘタにでもなく、あまり上手にでもなくやる必要があるのかもしれません。でもそうするとまた別の誤解が生じるでしょうね)。できるだけ正しいことを伝えようとしても、それを誰もが正確に理解できるように伝えることは簡単ではありません。

ショー催眠的な催眠術を少しはできるようになると、今度は多くの人はエリクソン系催眠に興味を示すでしょう。そしてショー催眠的でない催眠誘導(例えばエリクソン系の催眠誘導)の仕方をやり始めると、一時的にショー催眠でやるような催眠方法(伝統的催眠技法の中のショー向きなやり方、または古典的催眠技法と言ってもいいかもしれません;驚愕法の多用、直接的・指示的・権威的な暗示の多用、固定的・定型的な暗示、から入る方法)の感覚が鈍ることがあるかもしれません。要するに催眠“術”がヘタになったかも?と感じる瞬間です。しかし、ショー催眠的な催眠“術”をするときと、ショー催眠的でない催眠誘導をするときの自分自身の切り替え(演出的・顕示的態度でやるか又は違う態度で行うかの切り替え)を学ぶと、特にそういうことはなくなります。両方ともにうまく切り替えて使えるようになります。・・・と言うよりも、療法的な催眠誘導にショー催眠的な催眠術の仕方が全て含まれると言えます。例えば反応具合などをみるために、わざと最初からショー催眠でのように指示的・命令的に誘導する場合もありますし、またあるときは被験者が催眠状態に入りつつあるなかで暗示の与え方は必要に応じて指示的にするケース、一度軽い誘導をして一端催眠をやめ、被験者の感じ方や意見を聞いてから被験者がさらに掛けて貰いたいと言ったら再度催眠を行うケース、または、掛かり具合が良くなかったときにその感覚を味わって受け入れてもらいながら利用し次の誘導のきっかけにするケース等、または催眠状態が持続する催眠を掛けるなど色々です。また、催眠研究の実証的研究(実験)では定型的固定的ないわゆる伝統的な催眠術の暗示の与え方も多く使われたり、幻覚を見せるなどよりさらに深い催眠状態へ入らせたり等実験目的によってさまざまです。

また、ある程度催眠ができるようになると全能感・万能感を感じることが一時期あるかもしれませんが、だからと言って催眠療法ができるわけではないので、催眠が出来ることと療法ができることを十分区別して注意しましょう。催眠ができるから催眠療法ができる、と勘違いする人が非常に多いのも事実です。催眠療法をするには、催眠を出来ることとは全く別に「臨床心理学」等の知識や「心理療法」「心理臨床」等の最低限の専門知識は必要になります。 (例えば、心理的なことが原因の症状と身体的なことが原因の症状が同じ、なんてこともあります。悩み(症状)を訴えるクライエント(患者)さんが、「体がだるい」と言ったとしても、それが心理的なことから来ているのか、肉体的なことから来ているのかをちゃんと判断できるのが理想です)

臨床心理士や学問的研究もしている専門家が教える催眠誘導はお薦めです。
尚、「臨床心理士」だからと言って催眠ができるとは限りません。催眠ができない(というより元々専門領域に催眠を含まない)臨床心理士の方が実際は多いとも言えます。
従って、セラピー系の催眠を学ぶ場合は、重要なのは単に催眠が上手いことではなく、心理的なメカニズムやアプローチに関する最低限の知識を持っている人で、且つ催眠を行える人、ということになるでしょう。催眠が上手いというだけの人に学ぶ場合は、部分的な技法は学べるかもしれません、が、悪気はないにせよ、そのメカニズムを間違って説明される場合もあるでしょう、又、あまり説明してくれない場合もあるでしょう。



★お薦め本としては・・・ここらへんの本を読むと、理論的な知識を得る上でいいでしょう。
『催眠の科学―誤解と偏見を解く』(成瀬悟策;著,1997,講談社ブルーバックス)
『催眠法の実際』(斎藤稔正;著,1987,創元社)
『無意識を活かす現代心理療法の実践と展開―メタファー/リソース/トランス』
   (吉本雄史 , 中野善行 (編集),2004,星和書店)
『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門―解決志向アプローチ』
   (W.H. オハンロン;著,2001, 金剛出版)
他にも色々あります。

※成瀬悟策は戦後の日本の催眠研究の第1人者です。
※ミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson)は米国の20世紀最高の心理療法家と言われてます。

専門的には日本催眠医学心理学会や日本臨床催眠学会などの論文などを国会図書館などで検索してみるといいです。でもそういった論文はだいぶ難しいのも事実です。個人的には上記で言えば、成瀬悟策の本とミルトン・エリクソンの本は絶対お薦めです、古本でもいいから手に入れて読みましょう。その後にちまたの催眠技法の本を読むと技法の理解度などは全然違ってきます。でも通常、順序が逆になってしまうでしょうね(^^;

国立国会図書館の蔵書検索・申込システム;NDL-OPAC(http://opac.ndl.go.jp/)検索は“雑誌記事索引”で。




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